
――― 現代を生きる、すべての人へ ―──
便利で豊かなこの時代ですが、私達は時折、何か「大切なもの」を見失っていると感じる事はないでしょうか。
私達を日々取り巻く環境は、何事に対しても比較や競争が激しさを増しており、人々を惑わす情報が溢れかえり、真実まで容易く曲げられてしまい、かつての信頼関係さえ揺らぎ易く、そして大切なものを失い、他人や自分を責めてしまう事が頻繁に起きています 。
現代という世界のあらゆる場所で、人々は様々な闘いを強いられて生きていますが、この混沌かつ理不尽とも受け取れる世界であっても、時を超えて、まだ微かに私達の頭上で輝き続けながら倫理へと導いてくれる、生きる指針となる光があります。
それは、かつて日本の侍たちが長い時をかけて作り上げた叡智 ――「武士道(Bushido)」。
侍は強靭な精神力を持っていました。
その当時、侍は何を学び、どう己を磨いたのでしょうか。
この記事を読み進めていくうちに、あなたは気づくかもしれません。
武士道は、決して過去の遺物ではないということを。
それは今もなお、現代の私達の心の闘いに、静かに、しかし明確に語りかけてくれます。
驕りよりも誠実さを、迷い事よりも使命を。
謙虚さを支える強さを、忍耐の底にある平静を、再び見出すよう、あなたを誘います。
この記事の旅を終える頃には、あなたの中に眠る「内なる戦士」が目覚めていることでしょう。
さあ、原点に戻りましょう。
かつて日本を導いた、そして今はなお、世界を導きうる、この武士道という心の道へ。


著者
新渡戸 稲造
~ 世界に武士道を伝えた農学・法学博士 ~

明治から昭和初期にかけて活躍した教育者であり、日本と西洋の架け橋となった国際人。
新渡戸は1862年、盛岡藩(現在の岩手県盛岡市)に生まれました。
幼いころから武家のしつけを受け、やがて札幌農学校(現・北海道大学)に進学。
その卒業後はアメリカやドイツに留学し、異文化の中で深く思索を重ねたのでした。
その後、彼はベルギーの高名な法学者の家で歓待を受けて数日を過ごした事がありました。
そんなある日、彼が氏と共に散策していたところ、会話が偶々宗教の話題に及びます。
「 君の言う所によると、
日本の学校に於いては、宗教教育を施すと云うことがない、
というようにも思われるが 」
「 現在の日本の学校に於いては、
特に宗教教育として、特立した学科を設けてはありません 」
「 ああ宗教科がないとは。
それならば、あなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか? 」
彼は法学者からこの質問を繰り返し受けましたが、直ちに答える事が出来ませんでした。
国際結婚後には彼の妻も、どうしてこれこれの考え方や習慣が日本で行き渡っているのか、という質問を度々彼に浴びせます。
彼はこの問いへの満足のいく答えを探しては、妻に話しました。
西洋の人々が聖書に基づく倫理を重んじるのに対し、日本人の精神の支柱は何なのか?
法学者からの質問と、妻からの度重なる問いかけが、のちに名著『武士道(BUSHIDO: THE SOUL of JAPAN)』を世に送るきっかけになります。
1900年、英語で著された『武士道』は、当時の欧米で大きな反響を呼びました。
それは、日本人の精神文化を初めて言葉として世界に紹介した書物でした。
また、彼は教育者としても偉大な足跡を残しています。
留学後は札幌農学校の教授として教育に従事し、恵まれない境遇の子供達のために夜間学校を設立するなど、教育の普及に尽力しました。
執筆した著書『武士道』が国際的に評価を受けると、1920年には国際連盟(今の国際連合の前身)の事務次長に就任し、国際平和に尽くしました。
晩年は東京女子大学の初代学長を務め、女子教育の発展にも寄与しており、その姿は知性を武器として戦う侍のようでした。
彼は1984年から2004年まで発行された五千円札の肖像にも採用され、日本を代表する知識人として知られています。

第1章 武士道とは何か ――― 起源について

武士道は、刀を振るう技や戦法、そして戦の心得や作法を説くものではありません。
それは、単に武士としての正しい生き方を示すものではなく、人の倫を照らし続ける光として当時の日本人の心の中にあり、力と美を備えた浩然闊達な精神となって生きて働いているものでした。
新渡戸は、武士道を一言でいえば、「武士が、あるいは武士階級が、日常生活の一切を規定する所の尊い責務のこと」であると記しています。
その本質は、大なる名誉と、多くの特権との寵遇を与えられた者ほど人の模範であらねばならないという精神が根幹にあります。
武士道は、武士階級の発生以来、千数百年の長き間の武道的経歴にわたって極めて自然に発達してきた、武士の生き方の有機的産物でした。
新渡戸は、「 封建時代になって、ややこれが完成したことから、武士道の起源は封建制の時代と共に自覚されたものであると云っても差し支えなかろう 」と記しています。
第2章 武士道の淵源

この章では、武士道がどのようにして形づくられたのか、その淵源が仏教・神道・儒教などの教義や思想に根ざしていることが記されています。
日本の風土と文化、そして人々の生き様の中で、これらの根本的な主義思想を長い時をかけて自然に吸収同化し得ることで、武士道は日本人の心の中に深く刻まれた壮大な倫理体系となり、日本人の精神文化の結晶として形づくられた “ 生き方の哲学 ” であることが記されています。
仏教から 「避けることの出来ない運命に、従容として服すると云う心境」
「危難もしくは災厄に臨んだときのストイック的な平静した心境」
「無常の悟り」など
神道から 「君主への忠」や「祖先への崇拝と宗家国家への愛の情感」など
儒教から 「孔子と孟子の教え」
第3章 義(正義)――― 侍の規範の中で最も厳しい教え

●『 義(正義)』とは何か
“Rectitude is the power of deciding upon a certain course of conduct in accordance with reason, without wavering.”
(義とは、理に基づいて揺るぎなく行動を決断する力である。)
この一文は、武士道の「 義 」を非常に端的に表しています。
まず、「 義 」とは理( 筋の通った正しい判断 )に基づいて行動を決断するという事であり、この決断は感情が働いて決めるものではなく、自分の利益や欲望で決めるものでもなく、周囲からどう見られるかを気にして迎合するものでもありません。
次に、「 義 」には “ 揺るぎなく ” という条件があります。
人というものは、怖くなったり損をしたくなかったりして、常に正しく決断するのが難しいのですが、義を備えた人は、たとえ感情的になっても、たとえ不利になっても、たとえ誰に嘲られても、正しいと決断した道を誤りません。
●『 義 』の重要性
『 義 』は、武士にとっては金科玉条の、第1条とも云うべき厳訓でありまして、
彼等にとっては、陰険な振る舞いと、邪まな行いほど、醜悪卑劣なものは、人生に他に
又とないのであります。
真の侍を目指す者が、特に重んじたもの ――
それは、名誉でも主君への忠義でもなく、我が身の安泰でもありませんでした。
「義に生き、義に死す」
彼らにとって、この言葉は単なる理念ではなく、生涯を通して貫くべき生き方だったのでしょう。
義に背いて生きることは恥であり、たとえ散っても義を貫くことは誉れとされた時代。
新渡戸は、この精神を “ moral rectitude( 道徳的な直立 )” と表現しました。
当時の侍達は、身体の姿勢が乱れれば姿が崩れるように、魂もまた真っ直ぐでなければ美しくないと教わっていたことが、彼らの精神に影響しています。
命を懸けてでも義を貫く真の侍の姿は、どこか、最後の散り際まで美しい桜の花に重なります。
満開の華やかさだけではなく、潔く舞い落ちるその最後にまで美が宿る彼らの魂。
義に殉じて生を懸けた彼らの姿は、まさにその “ 散り際の美 ” を体現していた様に思われますが、この「 義 」は彼らにとって、ただの美学に留まりませんでした。
武力と権力を握っていた彼らの力は義によって昇華され、又は、これらの力を暴力へと堕とさないための歯止めの役割を担いました。
もし義を備えない武士が力を振るうのであれば、彼らの力はただの蛮行ばかりが目立ってしまい、社会を乱す凶器の力となっていたことでしょう。
義を備えた者こそが、真の強者に成り得る ―――
才覚や富が如何に豊かであったとしても、義の無い者は真の強さを手にできません。
どれほど研鑽を積んでも、義を欠いた者は決して一流には到達できません。
義は己を正し、社会を正しく導くための決断の羅針盤として機能し続けます。
●『 義 』と『 勇 』
武士が「 義 」を金科玉条の第1条として己を律したのは、決断が常に理に基づいていなければ、力を誤って用いてしまう危険性を理解していたからでしたが、義を心得ていても簡単に実行できるものではありません。
『 義 』とともに武士にとって『 勇 』は、双生児とも云うべき、最大の武徳であったのであります。
これは、義が正しく決断するための “ 羅針盤 ” であるなら、勇はその “ 実行力 ” である、という事を意味しています。
義を心得ていても行動出来なければ、それは “ 知識としての義 ・理想としての義 ” であり意味を成しません。
また、勇気だけが突出すれば行動が無謀や暴力へと転じてしまいます。
この「 勇 」について深く記されている次章では、武士がどのような「 勇 」を理想としたのか、
そして、それが現代の私たちにどのような教訓を与えてくれるのかを探ってみようと思います。
第4章 勇気(敢為堅忍の精神)―― 義を行動に変える力

●『 勇 』とは何か
現代で使われている「勇気」は、怖いけれど本心に従って一歩踏み出したり挑戦したりする事などのように、ものおじせずに立ち向かう気力を指しています。
これは現代社会において大変価値のある事ですが、武士道の「勇」はどうなのでしょうか。
『 勇 』とは義しき事を為すことを云う。
前章では新渡戸が、「 義 」と「 勇 」は双生児とも云うべき、武士にとっての最大の武徳であると述べた事について触れました。
しかしそれは、「 勇 」が無条件に称揚されていたわけではなく、「 勇 」は「 義 」によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値がなかったと、この章で述べられています。
孔子は『論語』の中で、「 勇 」を次のように定義しました。
「 義を見て為さざるは勇なきなり 」
この言葉を肯定的な文に改めると、「 義しき事を為すは勇なり 」、即ち「 勇とは義しき事を為すことである」となると、新渡戸は説明しています。
武士道の概念の中では、あらゆる種類の危険や冒険を顧みず、それに突入するような向う見ず行為は全く称讃されず、死に値しない事のために死ぬのは「犬死」として卑しめられました。
この真意は、徳川家康の孫の光圀と、古代ギリシャの哲学者プラトンが残した言葉を引用して説明されています。
―― 徳川光圀の言葉 ――
「 戦いの最も激しい場所に突入して一命を軽んずることが士の職分なれば、さして珍しくなく、
血気の勇は盗賊も之を致すものなり。
侍の侍たる所以は
其場所を引退いて忠節に成る事もあり。
其場所にて討死して忠節に成る事もあり。
生くべき時に生き、死すべき時に死する、之が真の勇なり。」
―― プラトンの言葉 ――
「 人が恐れるべきことと、恐れてはならないことを弁識することが勇である。 」
このように、道徳的なものからなる勇気は身体的なものからなる勇気と昔から区別され、広く認められていた事であり、武士の家に生れ育った者にして、幼少の頃から「大義の勇」と「匹夫の勇」との区別を教わらなかった者は一人もありませんでした。
- 大義の勇( 大勇 )
親孝行、主君や国への忠義、人として行うべき正しい道など、正義を貫くための勇気 - 匹夫の勇
思慮分別が無く、感情や勢い、虚栄心に突き動かされた、衝動的で血気に逸った勇気
●『 勇 』の鍛え方 ―― いかにして肚を練磨するか
勇気が真に人の精神に宿るならば、それは沈毅となり、不動の人格となって現われる
のであります。
母は懐に抱いた幼い児童に、剛毅沈勇の逸話を聞かせる事によって精神教育を施しました。
また、両親は幼児に勇敢と剛毅の徳を浸み込ませる為に、時には残酷とみまがう苛烈さをもって、彼らの内にあるところの、ありったけの胆力を喚び醒ます為の労役を課し、その胆力を錬磨させたとも記されています。
当時の社会において死を身近な事として捉えていた武士達にとっては、苦痛や困難、そして恐怖や悲嘆の中にあってもそれに耐え、理性を保って冷静に判断しなければならないことから、愛らしい盛りの小児に試練を課す必要があったのでしょう。
しかし、これらの体験から得たものが、鈍感な慣れは勿論の事、忍耐が強化されるだけであれば、大義の勇は育ちません。
本書に記されている極端なスパルタ式といえる「 胆を練る 」ための数々の方法は、少年の敦厚な感情を若芽のうちに摘み取ってしまい、心を粗剛残忍にしてしまわないか、という危険性が確かに存在していました。
そのため、武士道では「 勇 」を単独で鍛える事はありませんでした。
●『 勇 』と『 仁 』
戦場に臨んで、我が良敵とするに値いある者は、常平生の親友たるに適して、勇武あり
名誉ある人でなければならぬ。
「 大勇 」を奥深い高みまで極めていける者は、ある一つの境地に辿り着く事があります。
上記の一文は、戦場において我が真の敵とするに値ある者は、平時においては親友となるに足る者であると、説明されています。
大勇を極めていける者が良敵とするところは、その者と同じように勇武と名誉のある人物であり、そうした人物が相手であれば、自身の勇武と名誉を賭けて戦う事が意味を成し、平時であれば親友になり得る人格を有している人物であると読み取る事が出来ます。
この境地を解り易く説明するために、本書では武田信玄と上杉謙信の挿話が用いられています。
武田信玄と長き歳月に亘って幾度も刃を交えた上杉謙信は、信玄が病死した報せを受けた時、敵中の最も優れた尊ぶべき人物を失った事に、食事中で手にしていた箸を投げて長歎したそうで、
「この世において、我と並び立つに足る敵を失いたくなかった」
という、勇武の極致に立つ者の気持ちが表れています。
また、山間にある甲州を領地としていた信玄ですが、東海道から購入していた塩の供給を断たれて困っていたところ、これを東海道領主の不勇不義の至りと判断した謙信は、以下の一書を敵である信玄に寄せました。
「 我、公と争う所は弓箭にありて米塩にあらず。
請、今よりさき、塩を我国に取られ候へ。多寡ただ命のままなり。」
これらの挿話から伝わる大勇を極めし者の真情は、西洋の歴史と思想からも見出す事が出来ます。
―― 古代ローマの勇士 ――
「 ローマ人は金を以て戦わず、鉄を以て戦う 」
―― 西洋近代の哲学者 ――
「 汝はその敵を誇りとすべし。敵の成功は、また汝の成功なり 」
また、大勇の境地に至る者が身に着けるであろう、次章で紹介する徳目である「 仁 」について、この章の最後に触れられています。
―― 孔子の言葉 ――
「 仁のある者は、必ず勇気を持っている 」
つまり、孔子も「 勇 」の極意は「 仁 」である事を説いています。
「 勇 」を刃に例えるなら、「 仁 」はその鞘といったところになるのでしょうか。
次章では、「 仁(慈悲)」について、詳しく調べて参ります。
第5章から第13章までは、準備が整い次第、公開致します。
しばらくお待ち頂けますようお願い致します。
第14章 武士道が求めた女性の理想像とは ――― 女性の教育と地位について

武士道は本来、男性のために作られた徳目や教訓ですが、第14章では主に当時の日本社会における「武士階級の女性像」が紹介されています。
新渡戸の描く武士道による女性の理想像は、「従順な家庭人+勇敢な女傑」という二面性を持っており、現代人の思考からすると自己犠牲的な所が少々厳しいと感じられつつも、誇り高く強い女性像が記されています。
● 家庭的でありながらも女傑としての強さを求められた
武士道は、武士の妻に「優しく従順で家庭的な妻」という事だけではなく、時に毅然とした強さを持つ女傑としての徳目を重んじました。
この「女傑」像は、平安期の才女や江戸期の才媛とも異なり、武士の妻または娘としての精神的な一面を持つ事を意味しています。
つまり、当時は女性も武士道精神を体現する事が求められており、夫が戦に出ている間に家を守るのは主に妻の役割であった事から、武士階級の女性は家の統率や精神的支柱としての役割を担っていた事が強調されています。
- 「自らの感情を抑え、家族や家のために犠牲になる強さ」
- 「敵前で怯まない、精神的な剛さ」
- 「非常時には武器を手に取り、子や家を守る覚悟」
● 「内助の功」という理念の重み
武士階級の女性は、自らの意志に基づき父や夫または子のために従属的な奉仕献身を貫きました。
それは、女性の自己犠牲とも言える奉仕献身が、この時代においては自己自身をより高次の目的に役立たせるという真理のもとで、美徳で名誉あることとされていたためであり、「夫や家を支える役割に徹する」という点については、現代の価値観では賛否が分かれる部分となっています。
武士道における女性の重要な役割は、「夫を支えること」「家を治めること」とされていますが、それは決して女性を従属的存在として記していません。
家庭を統治し、子を教育し、家の名誉を守る責務を担う。
これは現代で想像する「専業主婦」像とは異なり、“女主人”としてのリーダーシップを求められていたのでしょう。
● 夫婦関係における「相互尊重」
武士道における夫婦の関係は「主従」ではなく、互いに家の名誉と運命を背負っている対等な関係としています。
「夫は外を治め、妻は内を治める」
ここには、男女平等思想とは異なる、日本独自の「相互補完的平等観」が垣間見えます。
● 女性教育の理念
武士道が培われてきた当時から、女性にも読み書きや礼儀作法に芸事など、一定の教育が求められていました。
ただし、それは現代のキャリア志向の教育とは異なり、主に以下の事を目的としていました。
- 我が子の人格形成と家訓の継承
- 家計の管理・交際・礼儀作法
- 夫を支え、家を治めるための知識や教養
更に「忍耐」や「恥を知る心」など、武士道ならではの精神的修養もありました。
我が子に武士道の精神を伝える「最初の教師」は母親であったため、当時の社会構造の中で、女性教育は「家の存続」を軸に考えられていたのだと読み取る事が出来ます。
● 刃を取る覚悟
女性が襲われた時には、常に懐に隠し持つ短刀で身を護るか、自害する覚悟がありました。
これは、武士の妻または娘としての覚悟を背負っていた事を示しています。
○ 現代に活かそう!武士道の女性観
武士道が描いた女性像の中には、現代では通用しない価値観が含まれていますが、その根底にある強さ・誇り・支える力といったものの価値は普遍的であり、現代の価値観に合わせて再考する事で、いつの時代にも通用するものになります。
以下の考え方を、家庭や職場、社会での関係づくりに活かす事が出来れば、武士道は現代を生きるあなたにも新たな価値をもたらしてくれるのではないでしょうか。
「武士の妻は、夫の留守を守る城代であり、家の統治者でなければならなかった。」
妻はただ「夫に従う存在」ではなく、家庭という城を守る司令官としての立場も求められていた事から、現代では「家庭や組織で統率力やリーダーシップを発揮する」という形で、この考え方を活かす事が出来ます。
「妻は家を治め、夫の名誉を守り、家名を高める者なり。」
妻は表舞台に立たずとも、家庭を守り、子供を育て、夫を支える事で家の名誉を保つ 、内助の功を求められてきましたが、この概念を「裏方で組織を支える力」「縁の下の力持ち」という形で捉え直せば、家庭だけでなく職場や社会でも応用出来ます。
「母は家庭における最初の教育者にして、武士道精神を子に伝える者なり。」
武士の妻には読み書きや芸事、礼儀作法などの他、忍耐・謙虚さ・品格といった人格形成に関わる徳目も大切にされていました。
教育の本質は、単なる知識伝達ではなく人格の形成であるという点は今も変わりません。
- 感情に流されない冷静な判断力
- 礼儀やマナーを重んじる品格
- 自ら学び続ける姿勢
「侍の婦人は短刀を懐に忍ばせ、いざという時は名誉を守るため命を絶つ覚悟を持て
と教えられた。」
非常時には武器を手に取って子や家を守り、時には自害する覚悟すら求められていた当時ですが、ここから学べるのは「信念を貫く強靭な勇気と誇り」でしょう。
- 家族や仲間を守る強さ
- 困難に立ち向かう精神的な強さ
- 突発的な状況でも冷静に判断する力
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