12巻 episode 49. 嫌いになんてなるわけがないんだ
父は、がっくりと肩を落としていた。
愛娘から電話を受けた時は上機嫌であったのに、突然知らされた彼氏の存在だけでなく、今夜いきなり家に連れて来るとの話は今の彼には残酷だった様だ。
仕事の帰り道に出会った近所の知人から釣れたての新鮮な鯛を頂いても、気分は沈んだままで足取りも重かった。
⦅ まさか、爽子にもう彼氏がいるなんて・・・ ⦆
と、彼の小さくなった背中が語っていた。
何よりも大切な一人娘を手塩に掛けて育てて来た彼にとって、到底受け入れ難かった。
自宅に到着しても、愛娘の彼氏になんて会いたくないという気持ちが働き、足が玄関へ進もうとしない。
彼は仕方無く家の前をうろつきながら、この事態をどうしようか、あれこれと思案した。
しかし、一見すると小心者に見えるこの行動は、そう長く続かなかった。
何も思いつかないまま妻に目撃されてしまい、恥ずかしくも会う決意を固めたのだ。
彼が一家の主である貫禄を見せてやろうと玄関に足を踏み入れると、そこには妻と娘、そして彼氏の風早が出迎えていた。
⦅ この男が爽子の彼氏だって⁉ ⦆
と、彼は思ったのか、想像とは全く異なる容貌に、注意深く風早をまじまじと見つめた。
疑い深く見る彼と、冷や汗をかきながら慎む風早のご対面に、娘まで緊張感に襲われた。
風早は父の紹介を受けると、母の時と同様に礼儀正しくはきはきと挨拶を始めた。
これに父は、「 えっ⁉ 」と言わんばかりに衝撃を受けた。
今時のイケメンを思わせる風早から想像した人物像は、遠慮を知らず、馴れ馴れしくて礼儀や言葉遣いも知らない若輩者であったのに、その予測が全く外れたからだ。
それでも父は、疑いの目を止めなかった。
⦅ どうせ、今は本性を隠して大人しくしているのであろう ⦆
と、普通なら誰しもそう思う所である。
彼は既に風早の味方に付いている母に臆せず、風早を冷たい態度で突き放した。
すると、これが風早に心底惚れている愛娘を目の当たりにする結果を招き、風早からはお願いの意味を込めて頭を下げられた。
「 まじめにつきあいます‼ 」
愛娘を獲られて悔しくて仕方が無い彼が、この程度で風早を認めるはずは無く、愛娘の気持ちを汲んで話を進める事になった。
彼は第一関門を突破した風早を居間に招くと、自分で丁寧にさばいた鯛の刺身でもてなした。
この時、彼は風早の箸の持ち方をチェックした。
加えて、刺身の食べ方までもあっさりとクリアされた彼は、黙って悔しさを嚙み締めていた。
その後、彼は席を外した。
着替えるついでに風早に見せたい物が有ったのだ。
「 風早くん 君 こういうの持ってるかい? 」
斜め45度の横顔で目をこちらへ光らせ、然も自慢げに被っているそれは、去年のクリスマスに愛娘から手に入れた手編みのニット帽だった。
父である私の方が、君よりも愛されているのだよと言いたげの視線を風早に送っているのだ。
父の気持ちを手に取るように察した風早は一瞬ためらいはしたものの、やはり正直に答えた。
「 ・・・・・・・・・ すいません 持ってます ・・・・・・ 」
風早からのまさかの返答に、彼は確実視していた白星まで逃した気持ちで一杯になった。
風早に対して露骨に嫉妬する彼を見兼ねた母は、夕食のスキヤキの準備が整うまで、風早を娘の部屋で待ってもらう事にした。
彼は自分でも娘の部屋へは入らないのに、直ぐに上げてもらえる風早に嫉妬していた。
過剰に警戒を強める彼が、夕食の準備が整った事を知らせに娘の部屋まで行くと、二人は隣にくっついて仲良く座っていた。
娘の部屋へ上げるには、まだ早いと思っていた彼は、この状況を見るや否や、やはりこの男は油断も隙もない子だと判断した。
こうなったら、一緒に食事をしながら彼を躾けていくしかない!
それから両親と風早は、箸を進めながら話し続けた。
彼から信頼を得るために、先ずは打ち解けようと積極的に話す風早は、彼の口調が多少厳しくても巧みに応対していた。
その様子を安心して見ている愛娘が度々見せる微笑みに、彼は娘の中に存在する風早の大きさに気付く事になった。
夕食後、彼は庭の縁側に座り、夜風に当たりながらどうしたものかと考えていた。
すると、風早が沢山の枝豆を持ってやって来た。
「 あの これ お母さんからです 」
「 誰が君のお母さんだ‼ 」
枝豆の数の多さに、二人分用意したなと思った彼は、風早を隣に座らせた。
彼との話に慣れてきた風早は、言ってみたかった台詞が言えて少し満足げだった。
彼は隣に座って行儀良く枝豆を食べる風早に、先程まで考えていた事を聞いてみた。
「 なんで爽子だったんだ
君みたいな子だったら 他にいろいろいただろう 」
最後になり、彼は風早を彼氏として認めるために納得させてくれる返事が欲しかった。
「 いないです
黒沼さんしかいないです 」
つき合ってもすぐに別れるんじゃないか?
浮気するんじゃないか?
と、彼は懸念していたのかもしれない。
「 ・・・・・・ くっ‼ 」
彼は、これでもう反対する理由を失った様だった。
風早の帰る時間が近づくと、彼は付け加えた。
食事中にも見せた様に、近頃の娘は私の目から見てもとても楽しそうで、これはきっと友達や風早のお陰なのだと感じた彼は、風早に「 ・・・ ありがとう 」とお礼を添えた。
風早が帰っても、彼はしばらく縁側に残った。
様子を見に来た母に、彼は「 いい青年だ 」と認めて呟いた。
父親として、娘の幸福が第一であるべきだと強く望むのだった。
箸の持ち方が正しい。
相手に安心感を与えられる。
父の気持ちを汲み取ることが出来る。
[ 広告 ]