20巻 episode 83. そんなかお
交際しているにも関わらず、今年のバレンタインデーも苦戦を強いられる黒沼。
風早にチョコレートを渡す絶好の機会を常に窺っていた彼女ではあるが、そうこうしているうちに、下校時刻を迎えてしまう事態となっていた。
放課後に一人教室に残り、荒井から依頼されたプリント作りを粛々と進める彼女。
教師を目指す彼女にとって、この仕事はきっと良い経験になるだろう。
ふと手を休めた彼女は、反省しながら風早の事を考えた。
⦅ 渡せなかった ・・・・・・ 今年も ・・・・・・・・・ ⦆
風早を狙う女子達は、黒沼の目の届かぬ隙に全員がチョコレートを渡す事に成功している。
それでは何故、恋人である黒沼が今年も渡せていないのか。
彼女は言い訳をいくつも考えた。
朝に渡すのは、早いと思ったから?
人目に触れない、ゆっくり出来る時に渡したかったから?
彼にチョコレートを渡す機会を、諸事情で上手く作れなかったから?
よりによって、委員の仕事でお昼休みを一緒にいられなかったから?
大雪のせいで、放課後の彼に、父が早急に帰宅して除雪するよう求めたから?
今日が日直当番で、このプリント作りの他に、仕事が色々あったから?
例えそうだとしても、理由をこれら他事で済ませて自己弁護を図る彼女ではなかった。
” チョコレートを渡せなかった ” 事実からは逃れられず、責任を感じる他なかった。
――― 私が悠長に構えていたせいだ ―――
⦅ 一番最初に渡せばよかった
去年 誰よりも遅くあげた分 誰よりも早くあげたらよかった ⦆
自責の念に苛まれる彼女は、プリント作りを終えた後、風早の家へと急いだ。
あの時、風早くんはチョコレートを「 もらいたい 」って思ってくれてたんじゃないかな。
彼女を見つめる風早の渇望した眼差し ・・・
口惜しそうに、家路へと急かされて帰る風早の後ろ姿 ・・・
俺、まだチョコレート貰ってないんだけど・・・もしかして、このまま家に帰るのか?
チョコレートを心待ちにしていた彼が、勢い良く降り積もる雪と頑固親父を恨んでいても、おかしくなかった。
風早家に到着した彼女は、手強い父と生意気な弟に挨拶を済ませると、優しい母のもてなしを受けて、彼の部屋へ通された。
少し散らかった、生活感の出ている彼氏の部屋で、雪搔きを終える彼を待つ。
他に彼女が目にした物といえば、机に置かれた口が開いたままの鞄であった。
口から覗く、想像を遥かに超えるチョコレートの数々に圧倒され、彼女は言葉を失った。
彼を信じているとはいえ、その数の多さにやきもちを焼かずにはいられなかった。
鞄の中身を見つめながら、ふつふつと沸き起こる感情を押し殺している所、雪かきを終えた彼が戻って来た。
彼が告白する側の気持ちを理解出来る様になった事を、彼女に知らせたのはこの時だった。
もらわないのは 告白もなかった事にするみたいで出来なかった
もらわないのは 気持ちも否定するみたいで出来なかった
「 俺がすきなのは 黒沼! 」
彼の最後の一言が、彼女を安心させた。
彼女の方こそ、彼にこれ以上 ” お預け ” する必要は無いだろう。
「 ―― 突然来て ごめんなさい
渡したかったの どうしても
遅くなったけど もらって下さい! 」
彼女が手間暇かけて焼いてくれた、手作りのチョコレートケーキ。
彼は、待ち望んでいた手を伸ばし、大切に受け取った。
⦅大好き⦆を、いっぱい込めてある分、とても重く感じられる。
「 ・・・ やばい
・・・ すげー うれしいんだな ・・・・・・
――― ありがとう ・・・ 爽子 ・・・ いただきます! 」
一度は諦めかけたチョコレートだけに、受け取れた時の嬉しさは一入。
「 うわー おいしー 」
彼は泣き出しそうになった顔を、満面の笑顔に変えた。
そんな かおを みられる日だったんだ ―――――
多くの女子達からチョコレートを受け取っても、決して彼女達に見せなかった笑顔。
私だけにしか、見せてくれない笑顔。
「( 味は )だ ・・・ だいじょうぶ ・・・?
・・・・・・・・・ しょうた ・・・・・・ くん ・・・ 」
愛を持って、あなたが私の名前を呼んでくれた様に、私もあなたの名前を呼んでみる・・・
悪評の立つあだ名を付けられて貶められた経験を持つ彼女にとって、彼が呼んでくれる名前の響きは特別だった。
心を込めて名前を呼んでいる。
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